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第10回 育ての母が「萩本欽一」に似ているからなのか・・・欽ちゃんはずっと大好き

GW中盤、本日は映画>スパイスカレーの黄金コンボで満足な一日のチクです。明日は子供の日と言う事で、子供の頃の思い出を少し書いてみたいと思います。

タイトルにありますが、私は幼稚園の年中くらい~小学5年まで、祖母の家の近くにある、母のお友達(ご近所さん)の家にほぼ居候しておりました。きっかけは育ての母の「泊っていくか?」の一言に、二つ返事で泊まることになり、土曜日だけだったのがいつの間にか、週2,週3となり、小五の時には最大週6で「育ての母の家」に居候していました。

実家には母も父も兄弟(全部で5人兄弟)もおりましたが、育ての母の家は居心地が良く疑似「一人っ子」の様な生活でした。小学六年で登校班の班長にならなければ、そのまま週6で生活していたと思います。唯一日曜日の夜だけは帰って実家で寝泊まりしていました。今思うとあまり良くない生活スタイルではありますが、育ての母の優しさが私には必要だったと思い返します。

そんな育ての母とは土曜日のお昼に、焼きそばUFOもしくは焼き豚ラーメンを食べながら、テレビを見るのが定番で、その当時は長崎の土曜日のお昼は「欽ちゃん」出ているテレビがやっていました。その当時は、コント55号と言うよりもテレビタレントとしての「萩本欽一」がそれこそ視聴率100%男として君臨しており、育ての母と一緒に見ていました。

タイトルにもありますが、育ての母の顔・雰囲気が「萩本欽一」そっくりで・・・育ての母にも似ておりまして、ずっと萩本欽一に親近感を持って居ます。

私が好きなお笑いは、人を傷つけない笑いです。欽ちゃんは、笑いに厳しい部分ももちろんありましたが、今でも受け入れられる笑いがそこにはあったと思います。今で言う、むちゃぶりですが必ず拾って笑いに変えていました。たくさんの欽ちゃんファミリーの方がいらっしゃいますが、皆さん中身が素敵な人ばかりだと思います。

育ての母は、3年前に亡くなりました。血が繋がっていない事で連絡が上手く届かず、葬儀などにも出席できませんでした。今でも悔やんでしまう事も正直あります。亡くなった日、私は何故か九州に帰ろうかと考えていました。育ての母からの虫の知らせだったのかと思います。親孝行は生きているうちにしないといけないですね。

唯一の親孝行は、名前を付けて貰う事が出来たので、それは本当に良かったです。育ての母との繋がりが少しでも持てた事は、何にもしてあげれなかった私の唯一の親孝行です。

 

私が好きな若林さんと5月5日20時からラジオ番組あるので、それも凄く楽しみです。